大事にしていること

家庭料理というのはどこにでもある材料で、お母さんが気負わずに作れるもの、そして何よりおいしいものでなくてはならない。

「地元のスーパーで買えるもの、ここで言えばラゾーナ川崎とかそういう場所で食材を手に入れられて、なおかつ即戦力にならなくちゃダメなの」という先生は、レッスンの際には「この食材はどこどこで買ったもの」と生徒さんに伝えるという。そうすることで生徒さんはレッスン帰りにすぐに購入し、家庭にすぐに反映できる。どちらにとってもこんなうれしいことはない。

「本格的だからパーティーにも出せる、それでいて家計にもやさしくからだにもいい。これが一番じゃないですか。」

すべての料理の基礎と言う基礎をその世界のトップから学んだ先生だからこそ、その言葉には重みがあり説得力がある。
そして、「基礎がないのに発想だけで教えてはダメ」ともいう。基礎があるから応用できるのであり、実際先生も数々の失敗を経験したことで、いまではどんなことにでも臨機応変に応えられる術を身に付けたのだという。

「もちろんいまでも新しい発見があり、見えるものもいっぱいあるんです。」

自由になるにはそれなりの経験と覚悟がいる。食材のために自分の足で世界を回り、自分の舌で味を確かめ、すべてを追及した先生にもまだまだ新しい発見があるというのだ。ときにはローマからフィレンツェ、ミラノからアルバまで、3年かけてトリュフを追っかけ、本物の味を知り、他にも燻製を食べ歩いたという。本場の味を知るからこそ日本の味との違いも分かり、現地のことが分かるから味もしっかりと再現できる。たしかに、本場の味が分からなければ応用などできるわけもない。

「食と食育は人間を育てる。」

お母さんの作った料理が家族の談話のきっかけとなり、明るい家庭が築かれていく。それがすべての基礎だという。

「家庭の食卓に並ばないと意味がない、家族のためにお料理が反映しなくてはいけないの」という先生の料理への情熱は、つまりは家族への愛情であり、すべての料理を自分で確かめ突き詰めたというストイックな精神の中には、愛する者を包み込む大きなやさしさが溢れている。

–双眼社「料理教室へ行こう」抜粋–